2017年トレンドの《アビスカラー》って知ってる?知らないあなたには話題の◯○が必須!?
2017/05/07
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夏は長期休暇がある季節です。学校がお休み成ると子供たちは色々な場所へ出かけてゆきます。そんな折に夏の歌を歌ってみませんか。夏には夏の歌と童謡がよく似合います。浜辺で海水浴を楽しんでいる時浮かんでくる夏の歌、そして童謡、それを口ずさむと益々夏の楽しみが味わえます
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夏の歌 童謡 和楽器による夏の歌の演奏 老いも若きも夏の歌、童謡で暑さを乗り越えましょう。
暑い夏に嬉しいのは、うちわとかき氷とよく冷えたスカイです。そこに、ちょっとおしゃれにプラスしたいのは夏の歌のCDや童謡の生歌ではないでしょうか。夏の歌が聞こえてきたら暑さなんか忘れちゃいますよ。
夏の歌 童謡 尾瀬ヶ原の湿原 歌を歌いながら歩いてみたいですね。
尾瀬(おぜ)は、福島県・新潟県・群馬県の3県にまたがる地域にあって、中心となる尾瀬ヶ原は、日本を代表する高地の湿原です。
自然の宝庫である尾瀬には、ミズバショウ(水芭蕉)やミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が存在しています。
尾瀬を歌った「夏の思い出」を作詞した江間章子は一度も尾瀬を訪れたことがなかったのです。写真のイメージだけであの名曲を世に出したのです。
夏がくれば思い出す はるかな尾瀬遠い空
水の中に浮かび来る 優しい影野の小道
水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている
水のほとり シャクナゲ色にたそがれる
遥かな尾瀬 遠い空
作詞した江間章子は新潟県の生まれで、そだった地域では夏になっても水芭蕉が見られたといますから、尾瀬に行かなくてもそれをイメージして作詞したのかもしれませんね。
モーツアルトのピアノソナタ 第11番
中田喜直が作曲した、「夏の思い出の」とこの曲がよく似ていると言われています。ちょっと聞き比べてみてください。
富山県 雨晴海岸
夏の歌には海がつくものが多いです。唱歌、我は海の子、海、(海と言う題名の曲は二つあります)などです。童謡の海は、海は広いな大きな、と歌われています。もう一方の童謡海は、松原遠くという歌いだしです。
夏の歌 童謡 海
海は広いな おおきいな
月が昇るし 日が沈む
海におふねを浮かばせて
行ってみたいなよそのくに
夏の歌 童謡 海は、作詞が林柳波、作曲は井上武士です。広々とした海を目の前にした気持ちが素直に表現されている童謡です。お母さんが子供に歌ってあげたい夏の童謡ですね。
夏の歌 童謡 たなばたさま
中国から伝わって夏の伝統行事を歌った、夏の歌の定番童謡といえばこのたなばたさまです。天の川にまつわる伝説が、夏の夜空を彩る星々にちりばめられて、素敵な夏の歌になりました。
童謡 たなばたさま
笹のはさらさら のきばに揺れる
お星さま きらきら
きんぎんすなご
ごしきのたんざく 私が書いた
お星さまきらきら
空からみてる
織姫(おりひめ)は天帝の娘で、機織(はたおり)の上手な働き者の娘であった。同じく働き者の牛使い彦星(ひこぼし)と仲睦まじく、天帝は二人の結婚を認めた。
めでたく夫婦となった二人だったが、夫婦生活が楽しくてしかたがなく、織姫は機を織らなくなり、彦星は牛を追わなくなってしまった。このため天帝は怒り、天の川の両岸に二人を引き離してしまう。
ただ、天帝の情けによって、年に1度、7月7日に限り会うことが許された。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増してしまい、二人は年に一度の再会ができなくなってしまう。
その時、二人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋をかけてくれるという。
夏の歌 童謡たなばたさまにまつわる伝説のあらすじです。夏の夜空に繰り広げられるロマンチックなお話は今もなお人々の心を癒し続けています。このような、愛し合う二人が別れなければならなくなって、神様にお願いして逢うことを許されると言うお話は洋の東西を問わず存在します。
夏の歌 童謡 夏休みの楽しみは海水浴
日本の春夏秋冬を盛りたてる日本の伝統行事があります。その行事に歌われる童謡の存在も見過ごせませんね。夏の歌、行事に歌われる歌をご紹介いたします。どんな歌が出てくるかは見てのお楽しみです。
夏の歌 童謡 東京の真ん中で盆踊り
夏になると故郷へ帰る人が大勢います。故郷で夏を過ごす人たちは、故郷の盆踊りを体感します。都会に残った人々も、このようにして大勢で夏の夜を楽しみます。盆踊りに歌われる歌もまた、夏の歌であり童謡でもあります。
「月がでたでた~」という歌詞ではじまり、「サノヨイヨイ」という掛け声が入る福岡県田川市が発祥の民謡です。花笠音頭、八木節などとともに、夏祭りの盆踊りの定番 曲となっている 民謡です。田川市が北九州都市圏に属するため、楽譜によっては、曲のタイトルが、「北九州炭坑節」となっていることもあります。盆踊りは、お盆のころ(8月15日ごろ)に行われる夏祭りで踊られる踊りですが、もともとは仏教の行事の1つでした。 炭坑節の踊り方、振付は、インターネットの動画投稿サイトで簡単に見つけることができます。
炭坑節はもっとも有名な盆踊り歌です。九州の三池炭鉱をモデルにした歌で、炭鉱事業が全盛期のころに生れた歌です。夏の歌代表格ともいえます。シニア世代全員、一度はこの歌を歌って踊ったことがあると思います。私も子供のころ大人と一緒になって踊りました。汗をかいてみんなで踊ったあとの爽快感は何とも言えませんでした。
「河内音頭」は、「エーおんど、ききもの~」という歌詞で始まる関西地方の民謡で、盆踊りの定番曲です。 このページには、歌詞とメロディの異なる2つのバージョンを置いています。
「河内」は大阪の地名で、大阪弁の中でも、「河内弁」という少し違った方言を話す地域です。音頭は、主な歌い手さんが主となる部分を歌い、あいまに他の人の掛け声が入るような民謡のことです。この曲では、「ヨーホイホイアヨイトコセドッコイショ」という掛け声が入ります。
河内音頭の家元として有名な芸能人に、河内家菊水丸がいます。伝統的な歌詞以外に、時事的な内容を歌詞にして歌ったりもしているようです。 また月乃家会というグループも河内音頭を普及させる活動を行っています。
河内弁独特の節回しで歌われるこの歌は、関西地方を中心として盆踊りで広く親しまれています。粋のいい河内弁が飛び出して、夏の夜は大いに盛り上がります。日本の夏に欠かせない伝統行事(盆踊り)は仏教の念仏踊りが由来だとされています。今は宗教色は全くなく、夏の歌を歌って踊るという、地域のコミュニケーションをはかるための一大行事となっています。
夏の歌 童謡 子供が楽しむ 盆踊り
保育園や幼稚園では夏祭りが行われます。その時行われる親子で盆踊り大会では、子供用の楽しい盆踊り用の歌が流されます。祭りが最高潮に達した時、子供は親と一緒に歌を歌って踊ります。さあ、楽しい夏のカーニバルがはじまるよー!
運動会で 祭りだわっしょい 新しい子供の夏の歌 童謡
楽しく踊る子供たちの様子は見ていても楽しくなりますよね。汗を流して踊る子供の姿には清々しささえ覚えます。それきっと、邪気のないこころで一心に踊っているからでしょう。新しい子供の歌の世界が広がります。
保育園の夏祭り お江戸はカーニバル 夏の歌 童謡の代わりに踊り歌
このように、みんなで歌って踊るというのが最近の子供向け音楽の特徴です。アニメのテーマソングが振り付けだったりする影響だと思います。テレビを見ながら踊る子供、リズム感が養われると思います。ただ二拍子や四拍子の音楽だけに接するより、ロックのテンポを覚えることによって。子供たちの歌の世界が広がりますね。
線路は続くよどこまでも 日本の童謡として歌われているアメリカの曲
みなさんよく御存じの、線路は続くよどこまでも、です。元々はアメリカの民謡でした。それが日本にう伝わって、線路は続くよどこまでもになりました。全く別の歌に生まれ変わったのは何故なのか調べてみましょう。
1、線路は続くよ どこまでも
野をこえ山こえ 谷こえて
はるかな町めで ぼくたちの
たのしいたびのゆめ つないでる
2、線路は歌うよ いつまでも
列車のひびきを追いかけて
リズムにあわせて ぼくたちも
たのしいたびのうた うたおうよ
ランラランララーンラ ランラランララーンラ
ランラランラ・・・・・
童謡、「線路は続くよどこまでも」は、アメリカの民謡を佐木敏が訳詩した曲です。この童謡は昭和42年にNHKのみんなの歌で発表されました。ところが、全く別の訳詩でそれより遡ること十二年前の昭和30年に、原詩に近い訳詩で発表されたことがありました。
「線路の仕事」という題名のその歌は、線路の仕事はいつまでも 線路の仕事ははてがない、と歌われ、線路を敷く作業をしていいた人たちの歌だったのです。アメリカの元歌も凡そそういう内容でしたから、ほぼ直訳した曲だったのです。同じメロディーでも、訳詩が違うとこのように歌から受けるイメージが違うものかと驚かされますね。
明るい内容の童謡になって、この歌はヒットしました。今でも楽しく明るい歌として歌われています。
童謡 しょうじょう寺のたぬきばやし
愉快な童謡に「しょうじょう寺のたぬきばやし」があります。お寺の和尚さんと狸たちの踊り比べ、どちらが上手か月夜の晩に競い合ったと言う内容の童謡です。この童謡にも秘められた話がありました。
童謡、「しょうじょう寺のたぬきばやし」は、作詞、野口雨情、作曲、中山晋平による曲です。しょしょしょうじょう寺、ではじまる曲は本当に踊りだしたくなるような軽快な曲です。この歌は海外にまで輸出され、カム カム エブリボディー・・・という歌いだしで有名になりました。
しょうじょう寺という寺は実在し、狸塚も残っています。曲が誕生したいきさつはこうです。
大正7年にはじまった童謡運動は、次々に作曲される童謡をどのように普及させるかにかかっていました。まだラジオ放送もなかったので、作詞家や作曲家が全国行脚に出なければなりませんでした。
作詞家の野口雨情が、千葉県の木更津を訪れたとき、木更津の町長が、「子供たちに歌わせる郷土色豊かな童謡をつくってほしい」と頼みました。その題材として取り上げられたのが「證誠寺のたぬき伝説」でした。
證誠寺があった場所は昼でも暗い薄気味の悪い場所でした。そのため、夜になると一つ目小僧やろくろっ首などのお化けが出るのでお寺に住み着く和尚さんは誰もいませんでした。あるときやってきた和尚さんは、大変知識の深い学者でしたが、芸事も好きな一面を持っていました。夜になってたぬきが一つ目小僧に化けて出てゆくと、「可愛い一つ目小僧じゃ、団子でも食え」と言って少しも驚く様子がないので、狸の親分は怒って、次の行動に出ました。
和尚さんは夜中に外がうるさいのに気付いて、戸の節穴から覗くと、百匹ほどのたぬきが月明かりの庭で、自分の腹を叩きながら調子を合わせて歩いていました。これには和尚さんも驚きましたが、見ている内に身体が勝手に動き出し三味線片手に庭へ出てしまいました。狸たちは和尚さんに負けるものかと更に大きな原鼓を打って対抗しました。その翌日の夜も和尚さんと狸の音楽合戦は続きました。それが三日三晩続き、四日目の夜になると、たぬき囃しぴたりとやんでしまいました。翌日和尚さんがそこら辺を探すと、藪の中で大きなたぬきが、腹の皮が裂けたまま死んでいました。和尚さんは大狸の死骸を丁寧に葬り塚をつくりました。
懐かしい 手毬歌 あんたがたどこさ
なんだか物騒な言葉が出てくるこの「あんたがたどこさ」は、熊本県の船場町が発祥だとされています。地元には童謡の歌詞に出てくる狸の像が置かれていて、この童謡を町おこしの起爆剤にしています。しかし、地元の人たちは「狸ではなく、船場川でとれたえびのことをうたっている。」と信じています。どちらが真実なのかわかりませんが、まりをついて歌った記憶はシニア世代の心に残っています。
夏の歌、童謡についていろいろ見てまいりました。何かご参考になりましたでしょうか。童謡には、子供たちに西洋から伝わった音楽を教えたいと言う願いが込められていることを知りました。そのために、多くの音楽家が尽力したことを忘れてはならないと思います。今ではすっかりドレミファ音階が定着して、若者は自由に曲を作って歌っています。その素地を作ってくれた人たちがいたことを忘れないでほしいものです。夏の歌に限らず、童謡をもっとみんなで歌いましょう。四季折々の風物詩と共に、童謡を歌い継いで行きましょう。
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