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「苦節41年」母親の誕生日に入籍!戸次重幸の母への思いとは?

2015年9月、市川由衣との結婚を報告した戸次重幸さん。入籍した日は母親の誕生日だったそうです。戸次重幸の母親は既に他界されており、元々本名で活動していた戸次重幸は母親の一周忌を期に母の旧姓を借り、今の芸名になりました。そんな戸次重幸と母親のエピソードとは?

まずは戸次重幸のプロフィールをご紹介!

戸次重幸

本名:佐藤 重幸(さとう しげゆき)
生年月日:1973年11月7日(41歳)
出生地:北海道札幌市手稲区
身長:173cm
血液型:O型
参加ユニット:TEAM NACS

大学受験に失敗した戸次重幸さん。

浪人時代に、ブルーリボン賞授賞式でイッセー尾形が行った一人芝居「タクシーを待つ人」をテレビで見ました。

これをきっかけに、戸次さんは役者になることを決意しました。

最初は大学の進学も辞めようとしたそうですが、そこは親御さんが泣いて止めたということで大学に進学。

大学時代は演劇研究会に入り、そこで大泉洋さんや安田顕さんなど今のTEAM NACSのメンバーと出会うことになります。

大学を卒業した後もTEAM NACSの一員として、ローカルタレントとしての活動をメインとして役者の道を歩み始めました。

戸次重幸さん人柄は、周りの方たちの話によると、まっすぐで飾らない、友達思いのいいやつで、繊細そうで男らしいところもあるそうです。

同じ劇団の大泉洋さんが「生まれ変わったら、しげ(戸次さん)になりたい」というほど、全然迷いのない人で決断が早くくよくよしない性格だとのことです。

また、戸次重幸さんといえば「ミスター残念」と称され、ファンの間では残念エピソードも豊富な俳優としても知られています。

・北海道の実家から飛行機で東京のマンションに帰宅し、ドアの前で実家に鍵を忘れてきた事に気づく

・ゴルフに行けば、向かっている途中の車の中でキャディバッグを忘れてきたことに気づく

・とにかく遅刻が多い

そのほかにも様々な「残念伝説」を残している戸次重幸さん。

しかし、実は母親と関係する事柄を見ていくと意外な一面が隠されていました。
とても母親思いの戸次さん。母親の存在が、彼の芸能生活における大きな決断をさせることになります。

戸次重幸が芸名に改名した理由。そこには母親の大きな存在がありました

NACS結成時から2007年まで、本名である佐藤重幸という名前で活動していた戸次重幸さん。

突然の改名報告の後、2008年からは現在の芸名である戸次重幸を名乗っています。

その背景にある母親との絆に迫ります。

2007年12月。戸次重幸さんが所属する事務所公式、CREATIVE OFFICE CUEの公式HPにて、戸次重幸さん本人から突然の改名報告がありました。

その改名の理由には、深い母親への想いが込められていました。

この「戸次」という姓は、戸次さんの母親の旧姓で、正確には「べっき」と読むそうです。

読み易さを考え「とつぎ」としたようです。

改名の前の年に、母親を癌で亡くしていた戸次重幸さん。

その母への想いを胸に抱いて、今後も芸能活動に励んでいきたいという気持ちから、芸名を「戸次重幸」へと変える決断をしました。

この戸次重幸という芸名には、母親への大きな想いが込められていました。

読み易さなどを考えて読みは変えても、この苗字に改名したかった。

それほど、戸次重幸さんの母親への想いは強いものがあったんです。

亡母の一周忌を期に、2008年1月1日より「戸次重幸」と名乗っています。

戸次重幸さんの母への想いは戸次重幸さん自身からだけではなく、戸次重幸さんの所属する事務所、CREATIVE OFFICE CUEの代表取締役社長である鈴井亜由美さんも公式HPのブログで話題に触れていました。

母親の病の発覚。そのとき戸次重幸が取った行動は

事務所内で、戸次重幸さんから直接母親の病気について報告を受けた、当時事務所の副社長に就いていた鈴木亜由美さんは、戸次重幸さんと母親の深い絆について、こう語ります。

彼からお母さんの病状を聞いたのが
ちょうど去年の年明けすぐの頃でした。
シゲ自身も、いよいよ全国公演の稽古が始まる、
全国的なお仕事が増えてくるといったまさに
さあこれから忙しくなるぞといった時だったので、
私はショックで彼にどうこれから仕事のことを話していっていいか
悩んだ覚えがあります。

ただ彼は
「母さんは僕が仕事で成功するのが夢なので、
ガンガン仕事は入れてくださいね。
僕が仕事を休んでまで看病なんかしちゃうと余計心配しますから。
宜しくお願いします。」
と気丈にふるまっていました。

出典:http://chichimovie.blog92.fc2.com

これが、当時CREATIVE OFFICE CUEの公式HPに掲載されていた、鈴井亜由美さんが書いた一文です。

仕事が忙しくなるというときに、最愛の母の病気が発覚した戸次重幸さん。
それでも、母親の想いを組んで、休むことなく仕事に打ち込んでいきました。

戸次重幸さんは、仕事をきっちりとこなし、お休みの時は札幌に戻り、お母さんのそばにいる、という生活を送ったそうです。

母親のことを誰よりも愛していた戸次重幸さんと、そんな戸次重幸さんを誰よりも応援していた母親。

そんな親子の関係だったからこそ、芸能界で仕事を続ける上でずっと母親の旧姓を名乗り続けることに意味があるんですね。

鈴井亜由美さんの子供がお弁当通学になるというの知った戸次重幸さんが、

「お弁当作り、朝早いし本当に大変だと思うけどがんばってくださいね。
僕も母さんが働きながら弁当作ってくれていたのですが、あの時は何とも思わず食ってたけど、大人になってめちゃくちゃ大変だったんだなーって感謝感謝でした。
喜んでくれますよ。きっと。」

というメールをくれたそうで、鈴井さんは涙をぼろぼろ流しながらそれを読んで励まされたとのこと。

自分の母親のことを大事に思っているからこそ、母親という存在の大きさや大変さも理解していた戸次重幸さん。

母を思う戸次重幸さんの気持ちが、周りにいる人たちの気持ちもあたたかくしている。そんな様子が手にとれるようです。

マイペースで残念エピソード満載。

そんな戸次重幸さんですが、実はこういった優しい面や仕事に真摯に向き合った隠された一面もあったんですね。

戸次重幸、母の誕生日に婚姻届を提出

2015年9月、戸次重幸さんが公式HPのブログで入籍報告をしました。

前日のブログから既に早く発表したいというソワソワした雰囲気が漂っていましたが、まさか!の報告に同事務所所属タレントもファンも大変驚いた様子です。

そんな入籍の日取りに関しても、母親が深く関わっていました。

入籍日に9月8日を選んだのは、亡き母の誕生日にあやかってのことだそうです。

長年「ミスター残念」とファンの間でも呼ばれ続けていた戸次重幸さん。

TEAM NACSの中で一番結婚願望がありながら唯一の独身として、「残念伝説」を数々残してきた戸次重幸さんですが、やっと!入籍という運びになりました。

その大切な入籍の日に選んだのは、やはり最愛の母の誕生日でした。

戸次重幸の母親のユニークなエピソード

一般人だった為、あまり頻繁には登場しなかった戸次重幸さんの母親のエピソードですが、ここで、意外な人から語られた母親のユニークなエピソードを一つご紹介します。

愛すべきキャラであった戸次さんのお母さん。

戸次重幸さんが子供の時に『サンタは死んだのよ。』と、斬新なプレゼント回避術を展開していたそうです。

まだ子供の戸次重幸さんに対して母親のまさかのサンタは死んだ発言!

夢を壊すような発言ですが、サンタが居たことは否定しないところがなんともユニークですよね。

実際にこのエピソードが語られたのは、意外な人物からでした。

大泉洋、戸次重幸「母親に言われた酷いこと」【サンサンサンデー13/11/24】

その戸次重幸さんの母親が発した「サンタは死んだのよ」発言のエピソードは大泉洋さんがラジオで話していました。
放送内でも言われていますが、この発言を聞いた時の戸次重幸さんの反応が気になりますね。

戸次重幸と母の絆は強い

以上、戸次重幸さんとその母のエピソード、戸次重幸さんの改名時の母親への想いをまとめてみました。

いかがでしたか?戸次重幸さんの母親への想い、決意、愛情は今でも変わることなく、これからもきっと、ずっと続いていくのではないかと思います。

新しく家庭を持った戸次重幸さん。

母親への愛情と変わらないほどの愛情を家族へ向けれる、素敵な家庭を築いていくことでしょう。

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